RACツインオッターファイナルフライト
RACツインオッターファイナルフライト


 2002年1月23日、ついに沖縄の空からツインオッターが姿を消す日がやって来てしまった。
 定期便の最終便はこの日の760便(多良間−宮古)だが、那覇に戻る特別便8808便に幸運にも搭乗することが出来た。その時のルポをお送りする。



特別フライトの情報

 JALの時刻表からツインオッターの運行最終日が1月23日だと判明した。是非最終便には乗りたいと思い以前から情報収集していたのだが、発表らしいものもないままに決定していたようだ。でもこの日は水曜日。週末がらみでないとちょっと難しい。ならばここは自分なりの“お別れフライト”をしなくてはならない…。ということで多良間まで旅立ったのが昨年の年末だった。
 その直前に最終便のあとに宮古〜那覇間で特別フライトが運行され、希望者15名が招待される旨の発表があった。「これを逃したら絶対に悔いが残ってしまう…」と思ったが早いが、さっそく“想い出”をしたためたメールを出したのであった。

最終便で那覇へ

 急遽1日だけ有休を取得し、慌しく渡沖することになった。当選の葉書を持って前日の最終便で那覇入り。そしてこの日の午後に宮古に到着した。空港では多良間行き759便として出発準備中のツインオッターが出迎えてくれた。ターミナル内には航空ファンと思しき人もいるにはいるが、いつもと変わった様子はない。出発まではまだ3時間程ある。

定期最終便が到着

 多良間からの最終便が到着する頃になると、横断幕を持った多くのスタッフやカメラマン達がスポットに集まり始める。定刻よりやや遅れてツインオッターは南西の方角より姿を表わした。スポットインした機にマーシャラーが深々と一礼するとエンジンが停止され、ここに永きに渡る役目を静かに終える事となった。ツインオッター28年間の最後の一瞬は、この日限りで退職となる宮崎昌雄機長の引退式をも兼ねていた。

特別フライトにいよいよ搭乗

 デッキでその様子を遠巻きに見て、急ぎチェックインカウンターへ向かう。17時集合なのだが既に手続きは始まっているようだ。だが特別飾った様子もなく、出発時刻と行き先をカウンターで確認して手続きを行う。運良く窓側の席をキープする事が出来た。この便の招待客はマニアばかりかと思っていたがそれだけではないようだ。家族連れや地元の人も混じっている。いずれにしてもツインオッターの“関係者”には違いないのだが…
 2階ロビーの出発案内に目を向けると「RAC8818便(便名違いはご愛嬌?)、17時25分発那覇行き」の表示が見える。那覇行き特別便としか書かれていない搭乗券を見て、手荷物検査の係員は多少怪訝な顔をみせた。(この搭乗券、欲を言えばもう一工夫ほしかった。せめて日付と便名は入れて欲しかったが…)
 が、待合室のボードにはちゃんと8808便と表示されていた。勿論レジのJA8808に因んだネーミングだ。セレモニーの準備に手間取っているらしく搭乗開始が遅れたが、いよいよその瞬間を迎えることとなった。

204人の中の15人

 この特別便には204名の応募があり、ツインオッターへの思い入れが強い15名が選ばれ、その中の1人になることが出来た。私は自らの100回目のフライトとして当時の石垣−与那国線のツインオッターを選んだこと、その石垣−与那国線の感動的なラストフライトにも搭乗しに行った事(詳しくはこちらを)などを綴り当選したわけだが、その他には与那国と南大東との“遠距離恋愛”をツインオッターで実らせた夫婦とその家族、仕事が終わったら最終便で石垣へ遊びに行き、翌日の一便で戻ること30数回の多良間島の先生、自宅のベランダから毎日ツインオッターを見ては「がんばれ、負けるな」と応援し続けた人等々…。
 シップサイドでは私達招待客が一列に並び、取材陣のフラッシュを浴びながら宮崎機長の挨拶を聞く。そして拍手に送られて小さなタラップに足を乗せる。頭を何度かぶつけた低い天井、飾り気のない茶色のレザー張りのベンチシート、重厚なシートベルトバックル、胴体の割に大きな窓…どれももう見納めだ。テレビクルーと航空専門誌の取材者を加えた17名を乗せた8808便は、予定より15分程遅れて17時40分に那覇へ向けて最後のフライトへのタキシングに入った。

最後の1時間15分

 スロットルが全開になり、主翼からの振動が機体に伝わる。窓の外ではスポットで手を振る人影が流れていく。そしてフワッと浮き上がった機体はやがてフルパワーから上昇パワーへと回転を落とす。が、今日はフルパワータイムがいつもより少し長いようだ。海岸線を過ぎ珊瑚礁の海が広がり始めると、間もなく低く垂れ込めた雲の合間に入る。しばらく雲中飛行を続けるとやがて雲の上に出る。雲海が徐々に沈むように遠ざかって行くと、左後方からきれいな夕日が差し込む。ここでシートベルト着用のサインが消えた。
 さらに上昇を続ける機体はやがて高度9000フィートで水平飛行に入った。久々の高高度飛行だろう。スピードは135ノット前後をキープして北上する。狭い機内は先程からもう大変な騒ぎ。次から次へと人々がコックピットドアのところまでやって来てストロボを焚く。修学旅行のバス状態だ。開け放たれたコックピットは他機ではちょっと考えられないが、ツインオッターでは当たり前。さぞ気が散る事であろうに機長は何食わぬ顔でフライトを続ける。
 ストロボの灯かりに混じってあちこちで“ツインオッター談話”も始まっている。やはり人一倍思い入れのある人達の集まりなのだから、初めて逢っても気分は同窓会だ。気が付くと機内はあたりの暗闇と同化し、ナイトフライトの幻想的な雰囲気に変わっていた。暗さにあまり慣れないせいか、機長は頭上のコンソールパネルを小型懐中電灯で照らしながらなにやら確認作業を行っている。そう言えばツインオッターでのナイトフライトは久しぶりである。ほとんどの路線では日没前の到着が多かったが、南北大東島線は那覇到着が18時半頃となり、冬場などはあたりはもう真っ暗になっていたものだ。

そしていよいよ着陸

 いつしか高度が下がり始め、遥か前方に本島の明かりが目に飛び込んできた。その明かりが二つ、三つと確認できるようになる頃には大分高度も下がり、着陸の準備が始まる。喜屋武岬灯台の明かりを目印に、光り輝く糸満の町並みを見ながら最終の着陸体制に入る。昨夜も見たこの景色が今日はゆっくりと進んでいく。そして左手を瀬長島の黒い島影が過ぎ去ると、滑走路の南端にいつもの“キュルッ”という接地音と共に19時55分に無事着陸。と同時に機内は拍手の大反響となった。
 いつもならターミナルへ向かうのだが、今日は海寄りにあるJTAの格納庫方面へと向かう。先日引退した2機のB−737−200と共に多くの関係者が出迎えてくれている。誘導路をゆっくり踏みしめるように進んで格納庫の前に横付けされたツインオッターは、名残惜しそうに2基のエンジンをシャットダウンし、本当に最後のフライトを終えた。

ありがとうツインオッター

 主役のツインオッターはトーイングカーに引かれて格納庫内へ移動。大きな格納庫のドアが閉じられると引退セレモニーは始まった。RAC社長の挨拶に続き、宮崎機長と高野機長も挨拶。その他4名のツインオッター乗務員に花輪が贈られた。実はこのセレモニーは今日が誕生日の宮崎機長の引退式でもあり、退任辞令が渡されて明日からはツインオッターと共に“第二の人生”をスタートさせる。
 皆は思い思いに機体のまわりで記念撮影をする。そして部品等の記念品が希望者に、また写真と各自の名前入り「搭乗証明書」が全員にプレゼントされた。私達は名残惜しくもターミナルへと向かうバスに乗り込んだ。

 全盛期は4機が活躍していたツインオッターだが、最後まで残ったこのJA8808「ぎんばと」も近日中にアメリカに売却されてしまうらしい。南西塗装のイメージを色濃く残し、最後まで無事故で飛びつづけたツインオッター。長年の元気な活躍に対して「お疲れ様」と、そして多くの思い出に対して「ありがとう」の言葉を送りたい。

JTAの「さよならツインオッター」ページ
退役直前のツインオッター
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